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ゆかりの文人たち

「・・・玉川館にて」 ~宿と文人たち~

「・・・玉川館にて」 ~宿と文人たち~
 
元湯玉川館は文人墨客たちに愛され、いくつかの作品に関わってきました。
 
いくつかの資料を、膨大な古書のなかから導き出して下さったお客様。
そして貴重な「のらくろ」の本を寄贈して下さったお客様に深く感謝を申し上げます。
元湯玉川館 主人

ゆかりの文人①

ゆかりの文人①
田河 水泡
 
のらくろ
 
主人公の「のらくろ」が二等兵から伍長の頃の
期間、宿に滞在しながらお描きになりました。
2年に渡り半年ずつ位の滞在だったそうです。
元来子供好きであった作者・田河水泡は、近所の
子供達を集めては色々な話を聞かせていたそうです。
先生の周りにはいつも子供たちの遊ぶ声が聞こえたとか。
 
宿のロビーには作者直筆、為書付きの絵が掛けられています。

ゆかりの文人②

ゆかりの文人②
中村 雨紅
 
夕焼小焼
 
多くの人に親しまれ唄われている「夕焼小焼」は、作者・中村雨紅の故郷・八王子市恩方の情景を思い作られました。
先生は厚木実科高等女学校で教鞭をとり厚木を終生の地とされましたが、この七沢の風景に故郷をお思いになったようで、夕焼がきれいな日には遊びに
お越しになるくらい、元湯玉川館には幾度となく
逗留されました。
 
昭和31年11月、ご本人がお選びになった場所(庭)に歌碑を建立いたしました。
 

ゆかりの文人③

ゆかりの文人③
和田 傳
 
平野寂しけれど人みな美しく・・・
 
農民文学作家として永く農民と暮らしを共にされ、多くの作品を残されました。
「鰯雲」は映画化もされています。
先生は槌音から逃れるように元湯玉川館へ度々
お越しになり、宿の主人と世間の変わり様を
語り合っていました。
 
昭和54年春、玄関先に歌碑を建立いたしました。
 
※厚木市の「和田傳文学賞」・・・児童・生徒の文学的資質の高揚を図り、詩、作文、短歌、俳句の表現活動を通して、教育の充実・向上を図ることを目的に、郷土の作家で、厚木市名誉市民の故和田傳先生の遺志による寄付金で創設した『厚木市和田傳文学基金』を基に、昭和61年から実施されています。

ゆかりの文人④

ゆかりの文人④
 
山本 周五郎
 
金作行状記
 
昭和14年発表の「金作行状記」を宿で書き上げました。
主人公は〝大信田金作〟という明石藩の近習番頭。懐中乏しい自身にひっかけたのか、
玉川館への宿泊代を入れた封筒には「金作は忙しい」と書いてあったそうです。
宿泊代は一部滞ったまま・・・という古き良き(?)エピソードも残っています。
約ひと月の滞在の様子は、木村久邇典 著「山本周五郎 馬込時代」に記されています。

ゆかりの文人⑤

ゆかりの文人⑤
 
 
太田 静子
 
斜陽日記
 
昭和20年春から冬までの出来事を綴り、昭和23年に発表された「斜陽日記」。
その中で母と七沢温泉を訪れたことを書いています。
伊勢原駅からバスに揺られること一時間。夜に辿り着いた温泉郷は、ずいぶんと寂しい印象を与えてしまったようです。
訪れた宿の屋号は記してありませんが、記述されている場所から元湯玉川館である可能性が高いと
見ている国文学者がいらっしゃいます。

ゆかりの文人⑥

ゆかりの文人⑥
 
佐藤 惣之助
 
深紅の人(佐藤惣之助詩歌集より)
 
大都会を文明社会の悪のシンボルとみなし、すっかり都会が嫌になって田舎に引っ込んだ若い頃の
惣之助は、その反動で自然を賛美する詩を書き続けましたが、再び都会の魔性に目を向ける心境と
なりました。
元湯玉川館に籠って校正をしたそうです。

現代では・・・

現代では・・・
 
現代では・・・
 
日本アカデミー賞受賞映画『復讐するは我にあり』(監督:今村昌平 主演:緒方拳)を始めとして多くの映画、ドラマ、CMの舞台となっています。
放映のお知らせは随時トップページで行います。
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